ころんだけど、ちょっとうれしい
今回は、
“転んじゃったけど、ちょっと嬉しかった!”
というできごとを経験した小学生Sくんのお話です。
Sくんの話を聞いた私は、
心理士として、大人として、
「な!なんと!このSくんの姿勢、見習いたい!」と惚れ惚れし、
ここで皆さんにもシェアしたいと思いました。
***
Sくんは、小学校1年生。
学校からの帰り、「早く遊びたい!」と全力疾走していたら、
スッッッッテーーーーーーーーン!
思いっきりころんでしまいました。
しかも金曜日の下校時です。
持って帰る荷物が多い日です。
Sくんはランドセルだけでなく
両手いっぱいに荷物を持っていたので、
膝と手の甲と、顔を負傷してしまいました。
泣きながらとぼとぼ歩くSくん。
やっとの思いで家に着くと、
血だらけのSくんにお母さんはびっくり。
Sくんは、脱力感でますます涙があふれます。
***
なんと痛々しい話でしょう。
ここまでのSくんは、
早く遊びたかったのに、ころんで痛くて血が出て
もう最低!最悪!な気分です。
でも、
ここからのSくんは、
大人には真似できないピュアさを発揮します。
***
お母さんに手当てをしてもらい、
Sくんは泣きやんで、気持ちが少し落ち着きました。
それでもなかなかに痛む傷口。
怪我の具合を確認しようと鏡をのぞきこんだSくんは、
「わー!!ぼく、すごいよー!!!」と喜びました。
なんと、Sくんが負傷したのは、
顔といっても、おでこ、しかも左側。
この部分は、
流行りの ”キ●ツノヤイ●” の主人公 Tジロウ君の
おでこの傷と同じです!
Sくんは ”キ●ツノヤイ●” の主人公 Tジロウ君 が好きなので、
「ぼく、Tジロウみたい!!!」と嬉しくて仕方なくなりました。
***
大人からすると、
ハデにころんで、顔に傷が出来て、痛くて、
しかも遊ぶ予定も少々狂い、『最悪な出来事』に思えますが、
Sくんにとっては、
「ころんじゃったけど、好きなキャラクターになれた気分で嬉しい」
という『ハッピーな出来事』として認識されたわけです。
しかも、わざところんだわけではなく、
ころんだ時におでこが負傷するよう狙ったわけでもなく、
偶然が重なって ちょうどいい場所に傷が出来た という点も、
Sくんにとっては「ぼくはツイテル!」と思えることでした。
大人である私たちは、ほとんどころびませんが、
(私はちょっとどんくさいのでたまにズッこけます・・・汗)
日々の生活の中で、”精神的にころぶ” という感覚はあるかもしれません。
失敗したり、怒られたり、
落ち込んだり、自分が嫌になったり・・・
目に見える傷が出来るわけではない分、
周囲に分かってもらえないばかりでなく
自分自身でも心が負傷していると気づかないこともあります。
もしかすると、
自分で自分の心の負傷に気づいてしまうと
『最悪な出来事』を目の当たりにすることになるため、
それが怖くてほとんど無意識的に避け続けていたり、
あえて目を逸らして心の安定を図っていたりするのかもしれません。
でも、そんな時はぜひSくんの姿勢を思い出してみてください。
ころぶって、意外と悪いことばかりじゃないみたいです。
一見『悪』に思えることも、ちょっとだけ視点を動かしてみると
なかなか悪くない、むしろ、なんだかハッピーに思えることも、
あるのかもしれません。
そう思うと、心が負傷したかもしれない時、
ちょっとじっくり眺めてみるのも、アリ に思えてきませんか?
***
『悪』だと感じていることを無理矢理ポジティブに捉えましょう、
という意味ではありません。
『悪』だと感じているあなたを責めているのでもありません。
「もう本当に最悪だ・・・」と感じている真っ只中に
いきなりポジティブ!ハッピー!な発想が出てきたら、
それはそれで少々心配にもなります。
そうは言っても、
ずっと最悪な気分でいるのもとってもしんどい。
だからこそ、
誰かと話をする・ちょっとだけ他の視点をもらってみる
という機会が大事なのです。
カウンセラーは、そんな役割もあるのではないかと思っています。
確かにころんじゃったけれど、
ころんだという事実は変わらないけれど、
それをどう捉えるかは、変えられる可能性があります。
自分にとって 何かほんのちょっとプラスになったり
気づけたことや人に助けてもらえる有り難みを知ったり
「なかなか悪くないな〜」と思えるポイントがあるかもしれません。
苦労の多い頭のカタイ大人になった今、
どーんと落ち込みながら一人で考えるには限界があります。
ここまで一人で考えすぎてもうしんどい、
自分には最悪なことしかない、という方は
私たち 大阪中津臨床心理カウンセリング
を頼ってもらえたらと思います。
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