〇の心、△知らず
唐突に個人的な話ですが・・・
先日、“親知らず” を抜きました。
麻酔をかけてもらい痛みを感じないからか、
抜歯中、ただ ぽか〜ん と口を開けているだけで、ともて長く感じました。
そして、半分眠たい頭で ふと、
「親知らずって、何て哀愁漂うネーミングなんだろう・・・」
と思いました。
帰宅後、名前の由来をネット検索してみますと、
親知らずは多くの場合が10代後半以降に生えてくる
= “その歯が生えたことを親が把握していない、親が知らない歳になってから生えてくる”
というようなことだそうです。
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ぽか〜んと口を開けた私の頭には、
“親の心、子知らず” ということわざが浮かんできました。
同時に、「 “子の心、親知らず” もあるなぁ〜」と。
日々カウンセリングで目の当たりにすることが
なんだかぴったりくることわざだと感じました。
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“親の心、子知らず” とは、
・子どもには親の気持ちや深い愛情がよくわからない
・自分が親になってみないと親の気持ちなんてわからない
といった意味合いですね。
“子の心、親知らず” は、
・親には子どもの気持ちや考えがよくわからない
・子どもは成長と共に変わっていくのに、
親はいつまでも子どもを子どものままだと思っている
といったことを意味します。
わかろうと思っても、わからない。
相手の立場になって考えてみても、やっぱり限界がある。
そりゃそうですよね。でも、諦めたくないですね。
では、どうすれば良いのでしょう・・・?
“会話” “対話” “コミュニケーション” が重要なのではないでしょうか。
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心理学でよく知られた例の一つに、以下のようなものがあります。
【コップにちょうど半分の量の水が入っている】
という 誰から見ても変わりない事実を
「まだ半分もある」と捉えるか「もう半分しかない」と捉えるか。
これを “親の心、子知らず” “子の心、親知らず” に当てはめるなら・・・
親:「まだ半分もある」なんて、甘いわ。
計画的に飲まないと、将来、大変なことになる。
お母さんはね、そういう人をたくさん見てきたのよ。
あなたのためを思って「半分しかない」と言ってるの。
なんで分からないの?
子:ぼくは「まだ半分もある」と思って過ごす方が、気が楽なんだよ。
「もう半分しかない」と言ってる人はいつも暗い顔をしているよ。
将来どうなるかなんて、今は誰にも分からないじゃないか。
「まだ半分もある」とゆとりを持っていることが、ぼくにとっては大事だ。
お母さんには、到底わかってもらえないんだろうけどね。
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安易に「“もう半分しかない”と思いなさい!」と押し付けるのではなく、
「“まだ半分もある”と思えないのはおかしい!」と相手を否定するのでもなく、
自分自身にどのような経験とどのような考えがあり、
何を大切にしたいと思うからこその考えなのか、
自分がどうありたいからこの考えを持っているのか、
などを伝え合えたら
「う〜ん、確かにその捉え方もアリだね」と思えるかもしれません。
親の心は子には分からないし、子の心は親には分からない。
でも、ちょっと言葉を足して、ちょっと多く語り合ってみれば、
少しだけ相手の心に触れることができるのかもしれません。
論破ではなくて、対話、です。
真面目に理路整然とディベートするのではなく、おしゃべりです。
双方向に、あーでもない、こーでもない、グダグダ喋るでOKだと思います。
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抜歯後、歯の形をした可愛らしいケースに納めてもらい、
抜いた親知らずを持ち帰りました。
ただの歯なのですが、しかも厄介払いのように抜いた歯なのですが、
子の心 親知らず に思いを馳せることができ、
ぽか〜んと口を開けた甲斐がありましたとさ。おしまい!
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